鏑谷 勉 × 新山 千春

経済誌MASTERSに
弊社代表取締役 鏑谷勉のインタビューが掲載されました。

技を極めた匠

老舗企業の信頼に足る建設工事を手掛け
全社一丸で100年企業に向けて邁進

鏑谷 勉 × 新山 千春

鏑谷 勉 × 新山 千春

「信頼するスタッフと共に並走し、
100年企業を目指します」

夢中に経験を積み、2022年に代替わり

新山
『鏑谷工務店』さんは、創業から70年以上になる老舗だと伺っています。
鏑谷
はい。当社は1950 年に木造建築を手掛ける工務店として始まりました。そこからお客様のご要望に応えるかたちで技術を磨き、徐々に鉄骨造、鉄筋コンクリート造などの建設に携わるようになっていったんです。現在では公共工事の建設に特化しています。今の場所に拠点を構えたのは昨年のことでして、私は2022 年に、先代である父から代替わりしたばかりなんです。
新山
今年バトンタッチされたんですね!鏑谷社長は、小さいころから家業を継ぐことを意識しておられたのですか。
鏑谷
一時期は公務員になろうかと考えたこともありましたが、建築の道で頑張っていく決意を固めました。当社は現場での施工を専門にする下請けというわけではなく、施工管理、営業、交渉などを行なうゼネコンです。その中では様々な人とのコミュニケーションが必要で、柔軟な対応力なども求められますが、私はそこにすごくやり甲斐を感じたんです。そうして大勢の人が関わって、最後に立派な建物が完成する。その時の達成感は、言葉では説明し切れないものがありますね。そうやって経験を積んできて、今が代替わりをしたばかりのタイミング、というわけです。

使う人に喜んでほしい─その思いで企業としての役割を果たす

新山
公共工事の建設がメインということですが、やはり大きな建物が多いのでしょうか。
鏑谷
そうです。スタジアム、官公庁、公園事務所、都営住宅など、大型建造物の新築や改修工事が多いですね。主な取引先としては、大田区、東京都、消防庁、警視庁、国土交通省、防衛省などです。最近の実績の一部を紹介すると、大井ふ頭中央海浜公園内にある野球場『大田スタジアム』の改修工事や、東京港に入出港する船舶を管理する施設『大井港務通信所』の新築工事を手掛けました。
新山
どんな建築も人が生活する大切な場所ですから、御社のような姿勢で仕事をしておられるなら、お客様も安心して頼めると思います。
鏑谷
また、公共工事の場合はその性格上、予算や工期などについては非常にシビアですし、毎回必ず落札できるわけではありません。現場のことだけではなく、見積もりの計算や必要書類を過不足なく準備することなど、事務的な部分にも注意を払っています。
新山
責任感の強さが窺えます。社長という立場になられて、意識が変わった部分はありますか。
鏑谷
人との接し方について、改めて深く考え直しました。スタッフたちの考えもしっかりと聞き、分かち合い助け合いながら、同じベクトルに向かって進んでいきたいですね。
新山
社長がそんなお考えなら、きっと皆さん働きやすいと思います。
鏑谷
やはり、人が何よりも大切です。働く側の気持ちはきちんと汲む必要がありますから、もし至らない点があれば言ってほしいですし、少しずつ改善していくつもりです。また、仕事の全てを指示するのではなく、スタッフそれぞれに自分で考え行動してもらう方針を取っています。皆が主体性を持つことで力を付けていけば、企業としてもどんどん強くなると思います。
新山
社長なら、これから御社の歴史をさらに紡いでいかれそうです。
鏑谷
ありがとうございます。当社が長年こうして続けてくることができたのは、周囲の方々に支えられたお陰です。今後に向けて、一緒に頑張ってくれるスタッフを募集中ですから、さらなる規模拡大を目指していきたいですね。そして、組織力を固め、ゼネコン企業としてやっていきたいです。
新山
この先大きな目標があって、楽しみですね。
鏑谷
まずは、ここ大田区で存在感を示していきたいです。そして私の代で創業100周年を迎えられるよう、さらに次世代へと紡いでいけるように、全社一丸となって進んでいきます。
鏑谷 勉 × 新山 千春

新山 千春

青森県出身。ホリプロタレントスカウトキャラバンで芸能界に入り、1996 年に映画「お日柄もよくご愁傷さま」でデビュー。「超タイムショック」「にじいろジーン」など、バラエティー、ドラマ、映画など多方面に活躍。2010 年には青森市観光大使に就任。観光PRにも取り組んでいる。

page_top